ギャラリストのよしなごと

脳内物質

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とある日本の作家が書いたエッセイを読んでいて、何とも言えない落ち着きのなさを感じてしまった。

絶望も喜びも所詮脳内物質の分泌で大きく左右されているだけのことなのだ、とその人は書いていた。

世の中の多くの人は楽しいことを追い求めているが、そもそも幸せなんてこの世の中には存在していなくて、ただ脳内の快感物質がそう思わせているだけなのだという。一度その快感を感じた人はそれが忘れられなくて、楽しさを求めて買い物をしたり、恋に憧れたり、趣味に没頭したりするのだと彼は主張していた。

逆に言えば、脳内物質を自分でコントロールしさえすれば、いつだって人は楽しく生きることができるのだと言う。

 

私は脳の仕組みには全く明るくないけれど、そして確かに脳に快感物質が流れることで喜びや幸せを感じられるのだとしても、そういうふうに自分をコントロールして感じる気持ちは本当にハッピーと言えるのだろうか、と思ってしまった。

 

私の暮らしはほぼ平坦で飛び上がって喜ぶこともなければ、絶望の淵にいることもなく、淡々と進んでいく。

でもそうした何も起こらない凪のような日々の中に小さくて気をつけていなければ目につかないような喜びを発見するのが私は好きである。

まるで子犬のように元気よくトースターから跳ね上がるパンを見た時。

私のポイントカードの最後の空欄にスタンプを押してくれて、大袈裟な身振りで“おめでとう!”と言ってくれるケバブ屋のおじさん、

道ですれ違いざまに目が合った見知らぬ女性が一瞬笑顔になってくれたあの時。

これらは今日1日で感じた私の幸せだ。

その時私の頭脳の奥底で快感物質が分泌されていたのかもしれないけれど、でもそんなことはどうでもいい。そして、楽しいことは錯覚なんかじゃなくて確かにいっぱいどこにでも転がっていると私は思いたい。

 

今日紹介するのは川人綾さんの作品である。

画像で見るとまるでコンピュータグラフィックスを使って描かれたように見えるかもしれないが、実は全て彼女の手によって描かれている。織物を学んだ経験のある彼女は実際に織りを行うように描いていく。その線は手書きであるが故の誤差や不完全さが知らずうちに生じてくるが、それが実は作品が完成した際に温かみや美しさを引き出してくれるのである。

人がコントロールできない領域があるからこそ、そこに特別な面白さや魅力が生まれるのではないだろうか。

 

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