ギャラリストのよしなごと

インスタグラムストーリー

痛みのある思い出

あれは私が小学5年生の時のことだ。 クラス担任の教師に呼ばれて行った部屋には一人の見知らぬ少女が俯いて座っていた。 彼女の顔を覗き込んだ時、私はもうちょっとで声をあげそうになるほど驚いてしまった。 彼女の顔にはそばかすのような黒い斑点が無数に…

ギャラリー

ギャラリーは今のような世知辛い時代には稀有な存在だと私は思っている。 美術館のようにアートを鑑賞するためにお金を支払う必要もなく、またアート作品にちょっとでも近づき過ぎると、警報がなって学芸員の威圧的な目に怯える、なんてこともない。時には作…

決して味わえないもの

コロナウィルスの蔓延で、本当に私たちの暮らしは変わってしまった、なんて書くと、そんな話題は聞き飽きたと思われる人もいるだろうが、どうか付き合っていただきたい。 ロックダウンが明けてからというもの、ギャラリーにアート作品を観にくる人が減った。…

時計

そういえば我が家にはどの部屋にも時計があったように思う。 居間にはネジを巻いて動く振り子時計、キッチンには丸くて大きい駅にあるような時計が壁にかけられていた。私たち兄妹はそれぞれ目覚まし時計を持っていたから、どこの部屋にいてもカチカチという…

良心

ギャラリーを開く前だから、あれはもう10年以上前のことになる。 私は父にそれとはなしに日本の現代アートを扱うギャラリーを開こうと思っているのだと話した。 それは相談というより、近況報告といった感じで、私はまるで世間話をするかのようにその話を彼…

静寂

私はずっと音のない暮らしが好きだと思っていた。 音楽も好きだし、日常の中にある生活音も嫌いではない。でも静寂に勝るものはない、そんな気がしていたのだ。 朝起きるとパートナーは必ずラジオをつける。 彼は朝のラジオから活力をもらい、1日の始まりと…

孤独

人付き合いは柔軟体操みたいなもの、ととある日本の人気エッセイストが書いていて、興味をそそられ、読み進めた。 若いうちは体が多少硬くてもその若さで乗り越えてもいけるが、歳をとってからはそうもいかない。少なくとも柔軟体操くらい習慣化して、とっさ…

苦労

私が教師だった頃ある年配の教師から言われたことがある。“君は全く苦労のかけらもしたことがないようなお嬢様然とした顔をしているよね。”その言葉はまさに私の芯をついていて、今も私の中に突き刺さったまま、時々痛みを伴って顔を出す。 あれはもう5年く…

祈り

私が作る料理というのは、冷蔵庫の中で眠っている食材をフル活用する、いわゆるはっきりとした料理名なんてない、ごく普通の家庭料理である。 レシピ本に首っぴきになって作る料理ではないこともあって、料理は私にとって瞑想に近い役割を果たしてくれる。 …

先日パートナーがリールでコーヒーパスタなるレシピを見つけ、早速作ってくれた。パスタとコーヒーの組み合わせなんてちょっと不思議だけれど、でもそれはコーヒーの香りがとても上品で意外にもクセになる美味しさだった。しかし、リール上に投稿されたレシ…

愚痴

愚痴を誰かにこぼしたところで自分の状況が変わるとか、あるいは少なくとも自分の気持ちがスッキリするなんてことは滅多にない。でも腹に溜まった黒っぽくてモヤモヤした重たいものを吐き出さずにはいられないことって誰にでもあるのではないだろうか。 私の…

自由

子供の頃は誰でも“どんな職業にも就ける”可能性を秘めていて、大いに夢を膨らませているものだと思う。 それが少しずつ大人になるにつれ、自分の実力の限界とか社会の仕組みとかに阻まれて、いつの間にかひどく現実的なビジョンしか描くことができなくなって…

バッサリ

迷いに迷って、それでも好きだから買った洋服だったのに、いつの間にか取り出して着ることがなくなり、洋服箪笥の中でひたすら時と埃を重ねている洋服がいくつもある。たまに思い出しように私はそれを取り出して鏡の前で着てみるものの、どうもしっくりこな…

健康管理

私の年代の人たちが集まって話をする場合、何が盛り上がるテーマかと言えば、それはもう間違いなく健康のこと以外にない。 世の中には真偽の方はともかくとして、もう信じられないくらいたくさんの健康に関する情報が溢れている。とにかくそれらを拾い集めて…

イタリア

イタリアに住むパートナーの弟家族が我が家にやってきた。 本当に不思議なことだといつも思うが、彼らが我が家にやってくると、家の中に明るい日差しが差し込み、一気にイタリアの空気があたりに充満するように私は感じるのである。 もちろんあの美しい音楽…

本を貸す

もうずっと前のことだけれどパートナーが私に言った。 “君ってたくさん本を読んでいるけど、その本の話を一切しないよね。普通の人なら面白かったり、感動した本のことを語りたくなものじゃない? 私は確かに本が好きだが、本当をいうと本か好きという以前に…

美しい仕事

私は子供たちが子供のうちにできるだけ多くのことを学んでほしい。 大人になってからその蓄積された知識がいずれ役に立つ。たとえそれが実質的には役に立たないとしても人としての精神的、創造的土台になってくれるはずだと信じている。 私は教師の仕事を辞…

あの人は今

笑われるかもしれないが、私は掃除機をかけている時が一番無になれる。あの耳障りな雑音も、いつもどこかでコードが引っかかるあのイラつきも私はあまり気にならならない。そして部屋の汚れと共に私の頭の中の埃も一緒に掃除機で吸い込んでいるのである。 今…

シグナル

生まれたばかりの赤ちゃんを半年も見なければ、それはもうすっかり成長していてびっくりしてしまうほどだ。また高齢者の場合はこれまた驚くほどに老いが大波となって彼らに押し寄せているのが目に見えルようで心が痛む。 先週の金曜日から始まった泉桐子さん…

ヒヤリ

私が教師として初めて赴任した学校で私はとても美しい日本語を使う国語の女性教師と意気投合した。私たちは仕事帰りによく一緒にご飯を食べて、職場のこと、自分たちの将来のこと、そして恋愛の悩みなどを話し合ったものだ。 そんな彼女がある日私に言った。…

幸運の量

父の葬儀が終わったとき、私はふと母の背中が目に入った。その背中はびっくりするほど小さくて、洋服の上からも骨張っているのがわかるほどだった。 そんな母を一人で放っておくことなんてできなくて、私は彼女の一人の暮らしが落ち着くまで一緒に暮らすこと…

脳内物質

とある日本の作家が書いたエッセイを読んでいて、何とも言えない落ち着きのなさを感じてしまった。 絶望も喜びも所詮脳内物質の分泌で大きく左右されているだけのことなのだ、とその人は書いていた。 世の中の多くの人は楽しいことを追い求めているが、そも…

靴の中の小石

私は子供の頃から友人を作ることが下手で変に身構えてしまうところがある。 それはやはり父の仕事の関係でたびたび学校を転校したことも原因だけれど、でも実はもっとちゃんとした理由がある。 私は誰かを好きになるとそれが男であろうと女であろうと、すぐ…

父は若い頃から心臓に問題があって、毎朝色とりどりのカプセル錠を飲んでいたのを私はよく覚えている。彼は結構几帳面な性格のくせに、自分の薬の管理は全くできなくて、母にそれを任せっきりにしていた。 多分母の優しさに彼は甘えていただけなのだろうけれ…

苦手

私は電話が苦手である。いや軽い恐怖心があると言ってもいいかもしれない。 相手の顔が見えないままで話をするのにひどく抵抗があるのだ。普段ならすらすら出てくる言葉が喉に引っかかったまま声になってくれない。 焦って話をしようものなら声はうわずって…

住めば都

数えてみると私は今までの人生で20回以上も住まいを変えていることになる。 数年ごとに家を移り変わってきた私は、家にあまり執着心がないような気がする。 もちろん豪奢な家を見たりすると、こんな家に住んでみたいなんて夢みたいなことを思うことはあるの…

アートフェア

今朝洗濯物を干している時、ベルリンで過ごしたあの5日間がやっと自分の中で咀嚼されるように蘇ってきた。 私たちは一年近く前からどのアーティストの作品でアートフェアに参加をするかを決定し、またアーティストたちとは作品について何度も話し合い、計画…

私の手本

大学生の頃本屋でアルバイトをしたことがある。 そこは大学の構内にあるあまり大きくない本屋で、でもとてもセンスのある一風変わった本の品揃えがなかなか評判の店だった。 店主は青白い顔つきが病弱にもエキセントリックにも見える、そしてちょっとばかり…

登山

大学生の時、友人たちと山登りに出かけた。 秋晴れの清々しい風がそよぐその日は私たちの額に浮かぶ汗をさらりと乾かしてくれる。 私たちは口々に “気持ちがいいねぇ!”と繰り返し、そして坂道で息を切らしながらもおしゃべりを 帰り道、私たちはさすがに疲…

切り花

もう随分昔の話だ。 付き合い始めたばかりの彼が私に一本の薔薇の花を差し出しながらこう言った。 “来月のこの日には2本、その次の月は3本というふうにこれから毎月君に一本ずつ増やしながら薔薇の花を贈るよ!” 大層ロマンチックな話ではあるけれど、“10年…