ギャラリストのよしなごと

思い出

必要のない情報

小説というのは、“何を書き”、“何を書かないか”が全て書き手に委ねられている。 何を当たり前なことを言い出すのだ、と思われるかもしれないが、まぁお付き合い願いたい。 背景の描写について少し考えてみよう。 映画の場合、そこに役者を立たせただけで、観…

おしゃれ

ずっと気になっていた洋服の整理を丸一日がかりで行った。 まるで思い出の写真を保管するかのように、私はもう着もしない洋服をそこここに押し込んでいて、私の洋服ダンスはまさに私のミュンヘン暮らしの歴史が丸ごと詰まっているような気がした。 そこに染…

特別な存在

子供にとって親とは本当に特別な存在である。 兄妹同士なら無神経なこと言い合い、互いに傷つけあうことなんて平気でできてしまうのに、親には触れてはならない領域があるのだ、ということを私はちゃんと心得ていたような気がする。 両親はもちろん私と同じ…

佇まい

父は骨董収集が趣味で、私は子供の頃から古い食器に囲まれて育ってきた。 私たち家族が日常に使っていた食器の多くはそれなりの価値があったのだと思う。しかし父はたとえそれらを子供の私たちが壊しても叱ったり、残念がったりすることは決してなかったので…

桑の実

怠けることのできない真面目さが私の唯一の取り柄であり、その他の点においては、まぁ可もなく不可もないそれが私である。 子供の頃の私を今思い返すと、自分で言うのもなんだが、ちょっとぼんやりはしていたけれど、今の私なんかよりもずっと純粋な良い子だ…

いつかきっと

自分の命の灯火が消えるまでにどうしてもやってみたいこと、見てみたいことってあなたにはあるだろうか。 ここでもたびたび書いているように、私は幼い頃から父の仕事の関係で引っ越しを繰り返してきた。 数年ごとに家を移り住んだことが私の性格形成に少な…

パートナー

パートナーと共に暮らして17年になる。 17年の年月は果たして長いと言えるのかどうかどうかよくわからない。 でも私はその間彼のすぐそばで、彼の考え方、嗜好、素の人間性を観察してきたわけだから、結構パートナーのことを私なりの捉え方で知っているつも…

兄と私

日曜日に誰かと会うというのは私には少々気が重いことである。そんな自分を人づきあいが悪いなぁとつくづく思うが、これが正真正銘の私である。 でも、ぶつくさ言いながらも人と会って話を始めた途端に楽しくなってお喋りに花が咲く、あるいは人と会った後に…

側面

私は三人兄妹の末っ子である。 兄は我が道をゆくタイプでいつも悠然としている, 姉は優等生タイプでなんでもそつなくこなし、頼りがいがある。 私はといえば、甘えん坊で飄々としている。 これが私たちの性質だ、と私は長年信じてきた。 物事には必ず表と裏…

痛みのある思い出

あれは私が小学5年生の時のことだ。 クラス担任の教師に呼ばれて行った部屋には一人の見知らぬ少女が俯いて座っていた。 彼女の顔を覗き込んだ時、私はもうちょっとで声をあげそうになるほど驚いてしまった。 彼女の顔にはそばかすのような黒い斑点が無数に…

時計

そういえば我が家にはどの部屋にも時計があったように思う。 居間にはネジを巻いて動く振り子時計、キッチンには丸くて大きい駅にあるような時計が壁にかけられていた。私たち兄妹はそれぞれ目覚まし時計を持っていたから、どこの部屋にいてもカチカチという…

良心

ギャラリーを開く前だから、あれはもう10年以上前のことになる。 私は父にそれとはなしに日本の現代アートを扱うギャラリーを開こうと思っているのだと話した。 それは相談というより、近況報告といった感じで、私はまるで世間話をするかのようにその話を彼…

孤独

人付き合いは柔軟体操みたいなもの、ととある日本の人気エッセイストが書いていて、興味をそそられ、読み進めた。 若いうちは体が多少硬くてもその若さで乗り越えてもいけるが、歳をとってからはそうもいかない。少なくとも柔軟体操くらい習慣化して、とっさ…

苦労

私が教師だった頃ある年配の教師から言われたことがある。“君は全く苦労のかけらもしたことがないようなお嬢様然とした顔をしているよね。”その言葉はまさに私の芯をついていて、今も私の中に突き刺さったまま、時々痛みを伴って顔を出す。 あれはもう5年く…

自由

子供の頃は誰でも“どんな職業にも就ける”可能性を秘めていて、大いに夢を膨らませているものだと思う。 それが少しずつ大人になるにつれ、自分の実力の限界とか社会の仕組みとかに阻まれて、いつの間にかひどく現実的なビジョンしか描くことができなくなって…

バッサリ

迷いに迷って、それでも好きだから買った洋服だったのに、いつの間にか取り出して着ることがなくなり、洋服箪笥の中でひたすら時と埃を重ねている洋服がいくつもある。たまに思い出しように私はそれを取り出して鏡の前で着てみるものの、どうもしっくりこな…

本を貸す

もうずっと前のことだけれどパートナーが私に言った。 “君ってたくさん本を読んでいるけど、その本の話を一切しないよね。普通の人なら面白かったり、感動した本のことを語りたくなものじゃない? 私は確かに本が好きだが、本当をいうと本か好きという以前に…

美しい仕事

私は子供たちが子供のうちにできるだけ多くのことを学んでほしい。 大人になってからその蓄積された知識がいずれ役に立つ。たとえそれが実質的には役に立たないとしても人としての精神的、創造的土台になってくれるはずだと信じている。 私は教師の仕事を辞…

あの人は今

笑われるかもしれないが、私は掃除機をかけている時が一番無になれる。あの耳障りな雑音も、いつもどこかでコードが引っかかるあのイラつきも私はあまり気にならならない。そして部屋の汚れと共に私の頭の中の埃も一緒に掃除機で吸い込んでいるのである。 今…

幸運の量

父の葬儀が終わったとき、私はふと母の背中が目に入った。その背中はびっくりするほど小さくて、洋服の上からも骨張っているのがわかるほどだった。 そんな母を一人で放っておくことなんてできなくて、私は彼女の一人の暮らしが落ち着くまで一緒に暮らすこと…

住めば都

数えてみると私は今までの人生で20回以上も住まいを変えていることになる。 数年ごとに家を移り変わってきた私は、家にあまり執着心がないような気がする。 もちろん豪奢な家を見たりすると、こんな家に住んでみたいなんて夢みたいなことを思うことはあるの…

私の手本

大学生の頃本屋でアルバイトをしたことがある。 そこは大学の構内にあるあまり大きくない本屋で、でもとてもセンスのある一風変わった本の品揃えがなかなか評判の店だった。 店主は青白い顔つきが病弱にもエキセントリックにも見える、そしてちょっとばかり…

登山

大学生の時、友人たちと山登りに出かけた。 秋晴れの清々しい風がそよぐその日は私たちの額に浮かぶ汗をさらりと乾かしてくれる。 私たちは口々に “気持ちがいいねぇ!”と繰り返し、そして坂道で息を切らしながらもおしゃべりを 帰り道、私たちはさすがに疲…

運命の出会い

“最初に彼を見たとき、もうビビッときたんです!” そういう運命の出会いみたいなのを時々読んだりする。 そんな時私は大抵、“ほんと?”と猜疑心が胸の中に急速に競り上がってくるのである。 そう、私の今までの人生にそんな電流が走るような衝撃的な出会いは…

巡り合わせ

人との巡り合わせというのは本当に不思議である。 もう一度会いたいなと願う人とは縁がなく、別に会いたいとも思わない人とバッタリ遭遇することもある。 あれは今から20年以上も前のこと。 当時ドイツ・デュッセルドルフに住んでいた私は、夏の休暇にイタリ…

無駄な好奇心

夏の終わりになると日本列島は幾度となく台風に見舞われる。 私は一度だけ大型台風の被害に遭ったことがある。 家の中にいてもものすごい風が唸りを上げているのが聞こえる。強い雨が窓を叩きつける音は、まるでガラスを突き破るほどである。でも何が一番怖…

過去に戻る

昔のことを頻繁に思い出すようになったら、それは歳を取った証拠なのだ、と巷ではよく言われているけれど、まさしくその通りだと思う。 若い頃は昔の出来事なんて1ミリだって頭に浮かんでこなかったのに、今の私は毎日のようにふわりと思い出が浮かんできて…

神のみぞ知る

”本当に私が関わるべきことじゃないのだ”、と思うけれど、やっぱり気にしている私がいる。 年齢の近い友人の一人が最近音沙汰ないと思っていたら、いつの間にか若い燕と暮らしていることを知った。 ”若い”と言っても5、6歳の年下ならまだしも、相手は20代だ…

アップルコンポート

我が家のリンゴは早生で、既に収穫の時期を迎えている。 ”家にリンゴの木があるなんていいじゃない、ドイツって感じがするわぁ!”と言ったのは姉だ。 確かに私だってその昔日本にいた頃はそう思っていたから姉を責める気はない。 でも。。。 「毎朝起きると…

留学

”留学が難しくなった今、実は誰でも簡単に留学ができるって知ってた?” なんだか謎掛けみたいな話をする友人に私は頭を捻った。 彼女は大学で先生をしていて、呼ばれればホイホイと世界中の様々な大学に教えに行ったり、ワークショップを開いたりする活動的…