私の両親がまだ健在だった頃、よく姉に言っていたそうだ。
「あんたの妹、一体異国で何してるの?
ギャラリーって何?
あの子のことだから胡散臭い仕事にでも手を染めてるんじゃないの?
一度様子を見に行ってきてよ!」
そういうわけで、日本から絶対に外へと出たくなかった姉が、彼女の夫と娘を連れてしぶしぶやってきたのは、もうかれこれ7年くらい前になるだろうか。
姉は自分の仕事を辞めてでも両親の介護を精魂込めてやる、私のようなボンクラな妹にも愛想をつかすことなく付き合ってくれる、心の広く深い人である。
両親の願いとあらばと、ミュンヘンにまで飛んできた。
姉たちがここに来ていた時はみんなで旅行したり、買い物したりで、私は全く自分の働く姿を姉に見せなかったが、帰り際になって姉は目に涙をいっぱい溜めて言った。
「安心したわぁ、ちゃんと仕事もして独り立ちして。。。お母さんたちも喜ぶよ。」
私がよっぽど疑わしげな生活をしていると思っていたらしい。
両親や姉に限らずで、私のことを”フラフラしながら何となく仕事をしている人”と思っている人は案外に多いような気がする。
また思い出話になるが、私は子供頃から一生懸命歯を食いしばるほど頑張っていても、端からはそのように見えない、とても残念な性格を備え持っているようなのだ。
小学6年の時に学芸会で劇をすることになった。
学年全員が出演するやたら大仰な劇だった。
私は小さい頃から大柄だったせいか、それなりに優等生だったせいか、主役級の役どころが回ってきた。
もちろんセリフもいっぱいあって、私は寝ても覚めてもセリフを懸命に覚え、お風呂の中でああでもない、こうでもないと身振り手振りを繰り返すほどどっぷりと役柄にはまっていた。
ある日担任から職員室に来るように呼ばれ、行ってみると学年の先生たちが勢揃いで私を待っていた。
先生たちは口々に私を責めたのだ。
”真面目にセリフを覚えようとしてない”、”この劇をなめてかかっている”、”みんなが集中している中、君だけがフラフラしている”。。。
あの時ほど先生たちの思いと私の思い入れとのギャップに驚いたことはない。
お次は中学時代だ。
私の姉は運動神経抜群で、短距離走では全国大会に出場するほどの俊足の持ち主だった。
姉より随分と背丈が高くほっそりとした体型の私は、多くの人には彼女よりさらに才能ありげに見えたらしい。
陸上部の先生、監督、コーチらから大歓迎を受けて、陸上部への入部を強制された。
私も走ればまあまあ速かったのだが、姉のような弾丸の速さでは到底なかった。
もうこれ以上は無理!というほど練習しても、ちっとも苦しげに見えない私の様子に監督らは私の態度の悪さを槍玉に挙げた。
いくら自分の限界を主張しても、彼らは”才能はあるのに怠け者”のレッテルを私に貼った。
高校時代にも”君はいつも斜に構えている”と担任から非難されたし、大学時代はサークルの先輩から”いつも余裕綽々の態度が生意気だ、ナメてかかるなよ”と個人的に厳しい指導を受けたこともある。
今もまた、週末返上して働いても、”片手間にギャラリーなんて、いいご身分ねぇ”と揶揄されている。
片手間どころではない、猫の手だって、犬の手だって借りたいほどに忙しくしているし、私の身分なんて誰も保証してくれない最悪な労働条件で働いている。
私ののんびりとした身体の動きとゆっくりとしか話すことのできない喋りのテンポが、多くの人々に誤解を招くのだ、と今の私は知っている。
若い頃はそんな自分の性格を”損だ”としか受け取れなかったが、ここまで年齢を重ねてきて思うのは、人に焦りや血眼になって頑張っている姿を見せないでいられることは、思いの外、利点ではないかと。
父や母は今頃天国で私の毎日の様子を心置き無く観察していることだろう。
そして二人で話し合っているに違いない。
”またあの子、おぼつかなげにやっている、大丈夫かしらねぇ。もっと真剣にやればいいのに。。。”