ギャラリストのよしなごと

水のようになれ、友よ

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金曜日は結構辛い。

 

仕事をしている人の多くは金曜の夜が好きだろう。

束縛とストレスから解放されて、一週間で最ものんびりできる夜ではなかろうか。

 

私の場合、金曜日はやたらと会食の予定が入る日なのだ。

お昼も夜も人に囲まれてレストランのざわめきの中で食事をする。

気の置けない友人とならばのんびりもできるが、仕事となると一体何を食べたのか、何をどれだけ飲んだのかも定かでない。

ただお腹が膨れているのを無意識のうちに感じ、目の前のお皿やグラスが空になっているのを見て、”なんだかよくわかないけれど、全部平らげたんだ!”と気づく始末だ。

 

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お昼に周りの人と同じ量、同じペースで食べたり飲んだりした数時間後には、また似たような繰り返しを夜も行うのは正直言ってうんざりする。

 

金曜の夜ともなると、みんな明日の仕事がないこともあって、会食は延々と続いてしまうのがオチだ。

 

”私、明日も仕事なんで。。。”と一人抜けるのもなんとなく気が引けてしまって、ついつい付き合ってしまう。

 

そして帰りの道すがら、疲れきった身体を引きずるようにして歩きながら、決まったように誓いを立てる。

 

”次からは誰に付き合いが悪いだとか、自己中だ、と非難されようが、私はさっさと仕事の会食を終えて、家に帰る!”

 

しかし変なところで気の弱い私は、また次の金曜日には同じように重たいお腹を抱え、しょぼつく目をこすりながら我が家へ戻るのだ。。。

 

言っておくが、私はいろんな人に会って自分では思いつかないような話、自分では全く気がつかない考え方、驚くような良いアイディアを聞くのは大好きだ。

特にその道のエキスパートからの話は、どんなに時間を費やしてでも聞きたい。

ただ食事をしながら。。。というのが困ってしまうのだ。

 

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水をテーマに仕事をしている人の話を聞く機会があった。

人間の身体の半分以上は水分でできていることはよく知られている。

食べ物なしでも水をふんだんに飲むことのできる環境に人が置かれていたならば、一ヶ月でも生き延びられるが、水を一滴も飲むことができない場合は、たった2〜3日で命に危険が及ぶらしい。

 

つまり人には水はいかに生きるために必須なものかがよくわかるのだが、同時に水によって命を落とす危険に晒されることもある。

海難事故、津波などの自然災害は顕著な例だ。

 

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「水って侮れない存在なんです。多すぎてもダメ、少なすぎても困る、人の愛情とよく似ています。」

 

さすがに水と関わりを深く持った人の言葉は深い。

またその人は私に一人の有名な俳優の名言を教えてくれた。

 

 

”心をからにして自由になれ。

水のような無形に。

水をコップに入れればコップの形に、ボトルに入れればボトルの形に、急須に入れれば急須の形になる。

水は流れる。

水は激しくぶつかることもできる。

水になれ、友よ”

 

かのブルース・リーの言葉らしい。

 

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自由に生きることを私たちは誰もが望んでいるが、実際にはどのように生きることが自由なのか、と問われた時、明確な答えを持っている人は少ない。

いざポーンと自由を投げ与えられたとしても、境界線も限りもないその自由の中で、私は果たして全くの開放感、幸福感を味わうことができるのだろうか。

 

自由という言葉は、私たちに夢を与えてくれはするが、そのつかみどころのなさに恐れを感じてしまう言葉でもある。

 

私は今日、胸のどこかでストン!と小気味の良い音が響いたかのように、自由とは何か、自由とはどう振る舞うことなのか、を初めて知ったような気がした。

 

”水のようになれ、友よ”

 

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