ギャラリストのよしなごと

無心

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私の住んでいる家の近くには大きな公園があるせいか、毎日小さな子供たちをよく見かける。

そんな子供たちを観察していると。日本とかドイツとかそんな住む場所なんか全く関係なく、彼らはとてもよく似ているな、と思うのだ。

じっとしていたかと思うと、急に走り出し、跳ね回り、手足をバタつかせて地団駄を踏む。

その予測のつかない子供たちの動きは、とてつもなく愛らしく、また微笑ましいけれど、親御さんたちは時には子供達に付き合うだけで疲労困憊になるだろうな、とも思う。

 

ある小児科医がとあるエッセイの中で書いていたが、そうした子供たちの突拍子もない行動は、実は彼ら本人が意識してやっているのではないのだという。

体が動くことを欲し、子供たちは無意識の中でそれを受け入れて動き回ってしまうのだそうだ。

どうりで小さな子供たちの動きが予測不能なわけである。

毎日目に見えるほどに身体的に成長している小さな子供たちの体は、心の動きなんて待っていられないほど大きく育つことを欲しているのかもしれない。

 

大人になった今、無心のままでいられることは一体どのくらいあるのだろうかと思う。

歯を磨きながらも目は携帯のビデオを追っている。お風呂に入っている時もラジオから流れてくる情報に耳を傾けている。

私は無になることがまるで時間の無駄かのように、次々に情報を詰め込んではそれを忘れていっているような気がする。そして毎日忘れた分だけをまた新しく補充しているのではなかろうか。

そんな私の脳は息絶え絶えで、多分自分で考えることすら辞めてしまっているのではないか、そう思えるのだ。

気持ちを無にした時、私の脳が新鮮な空気を取り込む余地を見つけた時、光るアイディアが生まれる、クリエイティブな発想が誕生する、私はそう考える。

 

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と言うわけで、私たちは今日から少しばかり無心の時間を取り戻すたびに出る。

美味しいものを食べ、ぐっすり眠り、そしてゆっくりと流れる時間の中でまるで小さな子供たちのように、踊ったり、歌ったり、ちょっぴり予測不能な行動に身を任せようと考えている。

 

“それではみなさん、行ってきます!”

 

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