ギャラリストのよしなごと

土産話

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ミュンヘンに戻ってきた。

たった一週間ほど家を空けていただけなのに、家の中も庭もなんだか私によそよそしい、そう感じるのは気のせいなのだろうか。特に夏の庭はたった一週間の不在でも全ての植物たちが目に見えて成長している。“あなたなんか居なくたって私たち、ちゃんと綺麗に花を咲かせることができるんだから!”と植物たちに突き放されてしまったようにも感じて少々疎外感を感じると同時に乾き切った土に深く根を張って逞しく生きる彼らを私は誇らしいようにも感じる。

 

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旅の話を聞くのほど退屈なものはないと私は思っている。

旅をしてきた人の気持ちは楽しい経験や新しい発見で大いに高揚している。それらを自分の胸の中だけに収めきれなくて、誰かを捕まえて旅の一部始終を話したくてたまらないものである。

でも聞き手に選ばれた人にとっては、そんな話を熱く語られれば語られるほど、冷めた気持ちがじわじわと押し寄せてくるのじゃないかと私は思うのだ。

 

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もう随分と前のことだけれど、ドバイに旅行にいった人から長々と話を聞かされたことがある。

それはいかにドバイがショッピング天国かというような話だったと思うのだが、大人しくその話に耳を傾けていると、おもむろに写真がぎっしりと詰まった二つの重たい靴箱を手渡された。

ゴールドのネックレスがまるでカーテンのようにジャラジャラとぶら下がっている写真、楽しいはずの旅行の一場面なのだろうけれど、挑むような鋭い目でこちらを見つめているポートレイト写真など、どの写真も私に何の感情も引き出してはくれなかった。

ただどの写真もちょっとピントがずれていて、その手振れが彼らの旅先での興奮の度合いを如実に語ってくれていた。

彼らにとってその旅は本当に特別だったのだろう。まだドバイを知らない私にその魅力を紹介したかったのだろう。

全ては感動のお裾分けなのだと分かっていても、彼らの話が長引くごとに私からドバイは離れていくようだった。

 

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旅行中につくづく思ったのは、イタリアとドイツの日差しの違いと空気の香りだ。私たちの住むミュンヘンも日差しが強く夏らしい日々があるにはあるのだが、イタリアのあの体の芯まで差し込むような日の光とは大きく違う。

イタリアにいると日差しという名の活力を毎日注入されるような気がして元気が出る。

夏の空気の香りに関しては圧倒的にドイツの方が好きだ。

朝に香る木々もあれば、夕方に強い芳香を出す植物もあると知ったのはドイツに来てからだ。

青々とした緑の香りを胸いっぱいに吸い込むと、泡立つようなイライラした気持ちが潮が引いていくように収まっていく。

 

日本にいる頃は四季の中で夏が一番嫌いだったのに、今はすっかり夏の虜になっている。今年の私の休暇は終わってしまったけれど、もうしばらく夏の香りを堪能したいと思っている。

 

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