ギャラリストのよしなごと

思い出の音

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思い出は音から消えていく。

随分と前にそんなことを小説の中で読んだ。

なんの小説だったのだろう、どんな場面だったのだろう、全く思い出すことができないけれど、今その言葉を私はずっしりと受け止めている。

 

私の家族は親戚縁者が極端に少ない。

それは戦争が大きな障害になった、ということもあるのだが、どう考えても私の両親は親兄弟の縁を意図的に遠ざけているようなところがあったように思うのだ。戦争があったからこそ家族の絆が強くなっても良さそうなものなのに、特に母は自分の親族に関して多く語ろうとはしなかった。

そんな中で私にとっての親戚は父の母、つまり私のおばあちゃんと父の兄弟だけだった。

特に祖母は派手好きで、ちょっと俗っぽい強い個性の持ち主だった。

父も母もそうした祖母を子供の私から見ても明らかなほどに遠ざけている感があって、子供ながらに私も祖母のことを少しさめた目でいたように思う。

でも祖母はそんなこと全くお構いなしといった具合に、私たち子供たちを旅芸人の艶っぽい舞台を見に連れて行ったり、遊園地のプールに自ら下着姿で入ろうとしたりと、とにかく弾けたおばあちゃんだったのである。

多分滅多に祖母には会えなかったはずなのに、鮮明な彼女との思い出がたくさんあるのは、私たちの両親が築いた習慣や常識を大いに逸脱した大人の世界を見せてくれたからだろうと思うのだ。

でも祖母の声だけはよく思い出せない。

耳の奥底に微かに彼女の声が残っているような気もする。しかしそれに耳を傾けようと気持ちを集中すればするほどあやふやになってしまうのだ。

一つ一つの祖母とのちょっぴり滑稽な思い出は、私の中でまるで無声映画のように再生されるようになってしまっている。

こうやって思い出は風化していくのか、と思うと少し寂しいような気もするけれど、でも今焼き付いている祖母との思い出は、私があの頃の彼女の年齢に追いついてもきっと残り続けると、それだけは自信がある。

 

今日は池田晃将さんのFlying Butterfliesを紹介しよう。

高さ6cm弱の小さな作品の中に無数の蝶が光り輝くこの作品は見れば見るほど大きく感じる。いや、正しく言えば、作品を見ている自分が小さく思える、といった方が当たっているのかもしれない。

さらにこんなに蝶が壮大な宇宙の中で舞っているかのようなのに、羽音すらしない静寂感に包まれ、私たちに心の平穏と静けさを導いてくれるのである。

 

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