ギャラリストのよしなごと

無の境地

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私はどちらかと言えば穏やかな性格だとは思うけれど、それでもやはり朝起きて気分がからりと晴れ渡って気持ちがウキウキすることもあれば、わけもなくイライラとして自分の感情を抑えられないこともある。

 

そんなざわつく気持ちを抱えてしまった時、私はそれを一日中引きずってしまいがちなのである。

それでも一応ここまで年齢を重ねてきたのだから、一応落ち着きを速やかに取り戻す方法を自分なりには考えているつもりである。

例えば、一人で爽やかに晴れた大空に向かって両腕を差し出すようにして深呼吸をする。木々の緑の青々しい香りを胸にいっぱい吸い込む。庭に咲く花々の手入れをする。動物たちの無邪気な行動を飽く事なく見つめる。

そう、私の気持ちを落ち着かせてくれる物事は意外にも多く私の日常に溢れている。

そしてそれらを吟味してみると、全て無心な存在である。

ただそこにあるという存在が私を癒してくれることに気づく。白い絵の具を勢いよく筆で伸ばしたような空の雲は意図して作られているわけではない。木々の深く穏やかな香りも、庭に咲く花も、そして動物たちも皆、欲や見栄に全く塗れることなく、私たちの前にただただ存在しているのだ。

そうした無心が私のざわつきを吸い取り、洗い流してくれるのだと思っている。

 

今、さまざまな問題を抱え、それを乗り越えたオリンピックが東京で開催されている。

開催に際して今なお賛否はあるけれど、でも毎日繰り広げられるスポーツ選手の戦いに胸を熱くしている人もいることだろう。彼らの様子が胸を打つのはやはり“勝ってやろう!”なんて気持ちを飛び越えた無の境地を私たちに晒してくれるからなのではないだろうか。

 

良いアート作品とは、と私たちは尋ねられることがあるが、アート作品もまた最後にはこの無心に行き着くのではないかと私は考えている。コンセプトや文脈、知名度や革新性、さまざまな良いアートを見極めるチェック機能はあるのだろうけれど、でも行き着くところは無の境地に立ったアーティストの作品は彼がどんなに無名であろうとも、人々の心を突き動かすのだ、と私は信じている。

 

今日紹介するのは寺山紀彦さんの作品である。

プロダクトデザイナーとして日本で広く活躍している彼には、機能、クライアントの要望などを抜きにした純粋なアート作品を作り出したいという強い願いがある。

彼のアートへの渇望は彼を幼児のように純粋に、そして無心にさせていると私は感じている。

なぜって、彼の作品の前に立つだけで、私のイラつく気持ちがまるで嘘のように静まってくれるのだから。

 

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