ギャラリストのよしなごと

予期せぬ出来事

f:id:keikothings:20210731222016j:plain

 

私の父は人を招くのが本当に好きな人だった。

彼はまるでお殿様かのように気まぐれに、人をぞろぞろと引き連れて帰ってきては、母に料理を作らせ、お客たちと夜が更けるまで料理やお酒を楽しんだ。

母にしてはみればそんなことが度々起きるものだから、全く気が休まらなかったのではないだろうか。

それでもなんの不平も言わず、開いた冷蔵庫の前に仁王立ちになって何種類ものレシピを捻り出していく母は実に頼もしかった。

もしも私が母の立場だったとしたら、“お客を呼ぶのならば、あらかじめ言ってよね!”と父を物陰に呼びつけて怒りの目つきで不満をぶちまけたことだろう。

 

昔は予期せぬ事態、というのが今より頻繁にあったような気がする。

突然鳴り響く電話がそうだった。

電話の画面に相手の名前が見えるわけではなかったあの頃、電話とは退屈な日常の中に意外性を作り出してくれる特別なものだったと思う。

母が電話に出るときのちょっと緊張した表情は、電話の向こうの相手がわかった途端に緩んでいく。その表情の変化はまるで映画の重要場面のようで、私はとても好きだった。

今電話は突然かけるものではなくなってしまった。

アーティストに急用で電話をかけてもスルーされてしまうことの方が多い。“あらかじめ電話するって言ってくれればいいのに!”と彼らに叱られ、私はしきりに謝らなくてはならないこともある。

 

今は気の向くままに電話をかけて相手を喜ばすことも、散歩の途中にふらりと足の向くまま予約なしでレストランに出かけて食事をすることも難しい。

昨日まで気にならなかった襟足の長さが、朝起きて何かの拍子でムズムズして無性に髪を切りたくなったとしても、美容院特有のあの大きなスケジュール帳は真っ黒に予約で埋まっていて、私は我慢を強いられるのである。

私たちの暮らしはいつの間にか数ヶ月単位で計画され、その決められた時間に合わせるように生きている。なんとも窮屈な時代になってしまったものである。

 

イトウマリさんの作品を今日は紹介しよう。

ブッダのような穏やかな顔つきの花の精は私たちのざわつく心に落ち着くように促しているように思える。サボテンのようにも見える不思議で華やかな植物はのんびりいこうではないかと私たちを諭し、背景の輝くような無数のバブルはいつ弾けるともわからない予測のつかない喜びを演出してくれそうな気がする。

 

f:id:keikothings:20210731222134j:plain