ギャラリストのよしなごと

小さな思い出

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思い出というのはおかしなものだ。

順序よく幼い頃からの思い出が飛び出しては来ず、まるで組み立て前のジグソーパズルのようにバラバラにそして断片的に飛び出してくるものである。

さらに言えば、強烈で華々しい、あるいはひどく心が揺れた出来事ばかりが記憶に残っているかというとそうでもないのが面白い。

別に特別なことでもなく、そんなに心が動いたわけでもない事が、ある日ひょっこりと頭に鮮明に浮かぶのである。

 

父は若い頃に運転免許を取得していた。しかし彼は車を運転する機会が訪れないまま年齢を重ね、仕事を退職し、そして母と共に田舎に家を求めてそこでのんびりとした暮らしを始めた。

田舎に住むのに何がなんでも必要なものとは車である。

ペーパードライバーとしてのみの実績を何十年と積んできた父に、免許はあるのだから“さあ今日から運転しよう!”なんてのは所詮無理な話だ。

母や姉、そして私が指導教官としてつきっきりで父に運転を教えた。

父は頭の大変キレる優秀な人だったけれど、同時に二つ、三つのことに注意を払うことができなくて車の運転には全く不向きな上に、感情のままに運転するものだから、一定の速度で走ることもまっすぐに車を走らすことも難しかったのである。

それはもうハラハラのしどうしで、父の車の横に座って私は何度“もう一巻の終わりだ!”と固く目を瞑ったことだろう。

とにかく父が運転をやめるまで一度の事故も起こさなかったのはもう奇跡に近いことだったと今でも思う。

 

そんな思い出は私の人生の中に起きた様々な出来事からすると、忘れてしまってもいいようなほど小さなことなのに、どういうわけだか車を運転する父の横顔も車の匂いも、そして父の無謀で気まぐれな運転に皮膚がヒヤリと粟立つ感覚も鮮明に思い出される。

もしかしたらこうした些細な小さな日常こそが私の人生のハイライトなのかもしれない。そう考えると私の日常が非常に愛おしくなってくる。

 

今日は水元かよこさんの作品を紹介しよう。

毎日口をつけ、触れるものこそ自分が気に入ったものを使うべきだ、と父は私にしつこいほどに教えた。湯飲みや茶碗こそ妥協せず吟味して選び抜き、そしてそれを毎日使うことで自分なりの美意識を磨いていく。

そう、この湯飲みは私がほぼ毎日使っている水元さんの作品の一つなのである。

 

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