ギャラリストのよしなごと

当たり前のこと

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私の高校には名物教師と言われるユニークな先生が何人もいた。

日本でとても有名な映画監督の弟で、それを生徒たちの前でひけらかすものだから“little brother”と名付けられていた生物の先生もいたし、一人のベテラン女性教師は非常におしゃれで、圧倒的な女子生徒たちからの支持を受けていた。

私が好きだったのは現代国語を担当する少しシニカルな雰囲気を持った先生で、生徒たちの間では売れない三文小説を書いているとまことしやかに噂されていた。

 

この先生は時々ボソリと、でも彼なりに熱を込めて若い私たちに説いて聞かせるような話をした。

当時の私には彼の話はあまりに当たり前のことで、何も響くところがなく、机に肘をつきあくびを堪えるようにして聞いていたものである。

それがどういうことか、最近になってやっとあの時の彼の話の数々が私の胸に響いてきているのである。

 

“私たちは日々自分たちの生活を作っている。生活のみならず自分自身を作り上げているのである。”

これは彼が言った言葉である。実に当たり前のことでしょう?

でも彼が言いたかったのは、漫然とあるいは無意識に過ごしている日々も、惰性で流れるその時間も自分自身の中身を刻々と作り上げているのだ、と言いたかったのだと思う。

習慣と称して長々とドラマを見てしまうのも、ついつい携帯から発せられる情報を見て時間を潰してしてしまうのも、年月が経るうちにそれが私の血肉となっていき、知らずうち私自身が形成されるというわけである。

それを意識して暮らすのとしないのとでは、これからも続くであろう私の人生を最終的には大きく変えてしまうのではないかと思う。

私は自分を厳しく律してストイックな暮らしをするほどの根性は持ち合わせていないけれど、でも少なくとも日々の小さな変化や人の細やかな気持ちに敏感でありたいと思っている。

あの国語の先生はまだ健在なのだろうか。

“何十年も経った今、あなたの言葉が私の中で芽吹いたようです。”

できることならば今私はそう彼に伝えたい。

 

今日紹介するのは桑原盛行さんの作品である。

彼の作品は大小無数の円の連なりで構成されている。単純な円が彼の作り上げた法則によって整然と並び構成されたこの作品を見ると、私はだらけた背筋がピンと伸びるようである。

コンピュータ制御された機械ならばこうした正確無比な図形を容易に作り上げられるのだろうけれど、でも桑原さんの張り詰めた緊張感、集中力、そして熱情は決して機械には真似できないことなのである。

 

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