ギャラリストのよしなごと

野菜炒め

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大学時代、私の下宿先のすぐ目に前に定食屋があって、ボリュームタップリで安くて美味しいと男子学生にもっぱら人気の店があった。

店には看板ひとつなく、足のスチール部分に赤錆が浮いた安物のテーブルと椅子がそこ此処に無造作に置いてあるだけだった。そして壁には数種類の献立が紙に書いて貼ってあり、それらは油に塗れてすでに紙の四隅の方は茶色に変色をしている、そんな店だったのである。

お世辞にも清潔感があるとはいえず、それ故そんな店に女子学生が集まるわけはなかった。

でもそこの野菜炒め定食が抜群に美味しいのだと男子学生の間でクチコミが広まっているのを耳にしていて以来、私はどうにかしてそれを食べてみたくなった。

 

冷蔵庫に眠っている半分乾涸びたようなにんじんやピーマン、いつまでも減らないまま転がっているキャベツの玉を取り出して作れる料理といったら野菜炒めが代表格ではなかろうか。

まるで野菜の在庫一掃処分といった野菜炒めは料理というには中途半端であり、慎ましい庶民の代名詞と言える料理かもしれない。

そこの定食屋のも、ありあわせの野菜と細切れの豚肉がほんの少し入っているだけのなんの変哲もない野菜炒めで、特別な味付けでもなかったのに、私は食べながら無意識のうちに涙をぽたぽたとこぼしていた。

その味で家族の温かみを思い出したとか、一人暮らしの緊張感が緩んだとか、そんな大仰な感情ではないのだけれど、自分の胸に仕舞い込んでいた様々な小さな我慢ややるせなさが堰を切って流れ出してくるような感じだったのだ。

 

“男性でもお腹いっぱいになる量なのに、まぁあんた綺麗に食べてくれたねぇ。”

私の食器を片付けにやってきたおばちゃんは驚いたように言って私にわらいかけた。そして私の気持ちを見通したかのように彼女は黙って私の背中を何度も摩ってくれた。

男子学生たちがこぞって絶賛したあの野菜炒め、やっぱりおいしかったのかもしれない。

 

今日嶺脇美貴子さんのジュエリー作品を紹介しよう。

この木彫りの熊は、日本の多くの家庭の玄関先や飾り棚の一角に鎮座している土産物で、もちろん私の両親の家にもあった。

家族の誰もが一体いつからそれが家にあるのか、誰がそれを買ってきたのかも知らないまま埃をかぶっているのだけれど、だからと言って捨てるに忍びないと思っている、そんな代物である。それがブローチに生まれ変わっているのだ。

あまりにも当たり前すぎて誰もが目を向けない物の中に輝きを発見する、そんなジュエリーを彼女はいつも作り出している。

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