ギャラリストのよしなごと

住めば都

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数えてみると私は今までの人生で20回以上も住まいを変えていることになる。

数年ごとに家を移り変わってきた私は、家にあまり執着心がないような気がする。

もちろん豪奢な家を見たりすると、こんな家に住んでみたいなんて夢みたいなことを思うことはあるのだけれど、実際には少々狭くたって古くたって、清潔感さえあればそれで十分、というこだわりのなさなのである。

 

私が社会人になったばかりの頃に住んでいたのは、街の中心のアーケードの外れにある寂れたアパートだった。

買い物が便利なのと通勤に利用していたバスの停留所がアパートと目と鼻の先にあるということだけでそこに住むことに決めたのだけれど、入居後すぐに、そこがかなり個性的なアパートであることに気づいた。

 

まず、アパートの前は裏寂れた小さなパチンコ屋で、夜中近くまでカーテン越しに派手派手しく点滅する電飾が私の部屋に入り込んでくる。それに加えて大音量の音楽とパチンコ玉のジャラジャラとなる音がセットになって私に決して静けさを与えてくれなかったのである。

それよりも変だったのは、周囲の住人たちだ。

どう見ても堅気でない人たちばかりが住んでいるようで、エレベーターでそんな人たちと乗り合わせでもすると、私は背筋が一気に凍りついたものだ。

 

でも住めば都とはよく言ったもので、私はこの狭くて古くて、うるさくて、そして恐ろしげな住人たちの住むこのアパートを結構気に入っていたのである。

パチンコ屋のおじいさんは私が仕事を終えて帰ってくると、それを待ちかねていたかのように店から飛び出してきて、“お帰り!ご苦労さん”と声をかけ、いつだって油まみれの紙袋に入った冷めて硬くなったコロッケを手渡してくれたものだ。

普段は肩で風を切って歩く目つきの鋭いおじさんの部屋の玄関先には可愛いサボテンの鉢が所狭しと並んでいて微笑ましかった。

そして、私の隣の部屋に住んでいるヤクザのチンピラは捨て猫の面倒を見る心優しい一面を持った青年だった。

何だか社会の吹き溜まりみたいな人たちが集まったアパートだったけれど、ここで過ごした数年で私は表からは決して透けて見えない人々の優しい心根を拾うことができたような気がする。それはパチンコの電飾なんかよりよほど清らかに輝いていた。

 

今日紹介するのは電飾看板を写真に撮影し続けている藤倉翼さんの作品である。

電飾の看板が存在感を示すのは当たりが暗くなってから。そして華やかなそれらの光は明るい時には決して見ることができない人の内側を垣間見せてくれるような気がする。

 

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