ギャラリストのよしなごと

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父は若い頃から心臓に問題があって、毎朝色とりどりのカプセル錠を飲んでいたのを私はよく覚えている。彼は結構几帳面な性格のくせに、自分の薬の管理は全くできなくて、母にそれを任せっきりにしていた。

多分母の優しさに彼は甘えていただけなのだろうけれど、子供心に私は父が自分の健康に無頓着であることをちょっと腹立たしく思っていたように思う。

毎朝父が宙を仰ぐようにして薬を飲み下すのを横目で捉えながら、父の健康は本当に大丈夫なのだろうか、と漠然とした不安が湿った冷たさとなって胸の中にじわりと浸透していくような気がしたものだ。

 

世界の歴史は繰り返されるというが、私のような庶民の暮らしもまた再生される。

数多くの薬を飲む父の姿は今私のパートナーに引き継がれている。

私の父と全く同じように数多くの錠剤を彼は毎朝飲んでいるのである。

シートに並んだ小さな錠剤を彼がプチンと押し出す音を聞くのが私の朝の習慣になったのは一体いつからなのだろう。

彼が薬を飲み込む姿を見るたびに、私はあの頃のゾワゾワする不安を思い出してしまう。

 

それが最近になって私も真っ白い小さな錠剤を毎朝一錠飲間なくてはならなくなってしまった。別に取り立てて不調があるわけではないが、多分これからの人生においてずっと私に寄り添う薬になるのだと思う。

まるで私は父そのままで、毎朝飲むその薬をパートナーに任せっきりにしているのである。

朝起きると食卓の私の定席に小さな白い粒がちょこんと置いてあり、その横に水の入ったグラスが添えてある。

毎日繰り返されるその何でもないこの情景を私はとても愛おしく思っている。

私たちはこれから二人で少しずつ歳を取り、互いの存在を意識の端にも止めない関係になっていくのだろうけれど、でも若い時には思いも寄らない場面で互いの存在を大事に、そしてありがたく感じていくのだろうと思う。

今日で一つまた歳を重ねた私は、白い錠剤を手のひらに置いて思う。

“これからもどうぞよろしく!”

 

今日は佐久間年春さんの漆繕いの小さな器を紹介しよう。

割れた食器を修繕する時にあえてその割れた線や欠けた部分を強調するかのように直していくのが漆繕いである。

私たち人間も多くの経験の中で失敗もし、悔しい思いもし、心身共にどこかに傷がある。そんな傷はわたしたちをたくましくし、そして人間的に大きく育ててくれる。いわば傷痕は私たちの勲章でもある。今から400年以上前からの技術である漆繕は、そんな人間味のある考え方から生まれたのではないかと私は思っている。

心身共にあちこちに傷があり、またあちこちにガタが来ている私たち二人にとって漆で繕った蕎麦猪口に親近感を感じ、そして凛とした佇まいを見習いたくも思うのである。

 

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