ギャラリストのよしなごと

靴の中の小石

 

 

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私は子供の頃から友人を作ることが下手で変に身構えてしまうところがある。

それはやはり父の仕事の関係でたびたび学校を転校したことも原因だけれど、でも実はもっとちゃんとした理由がある。

私は誰かを好きになるとそれが男であろうと女であろうと、すぐに自分と重ね合わせて似ているところを探したくなる癖がある。頭の中では相手は私と生まれも育ちも違う人物なのだから、多少なりとも似ているところがあったとしても、大方の部分は異なっている、とわかっているつもりである。でも実際に話をしてみてちょっとでも相手と意気投合でもするならば、その人の考え方や人となりを自分の枠組みの中に収めてしまいたくなるのである。

その結果、相手の理解できない部分が目につき始めると、私はその友人関係にひどく落胆してしまうのだ。

そんなことを子供時代から繰り返してきたから、私は友人関係に臆病で、なかなか人に心を開かない近寄り難い人間になってしまっていると思う。

 

そんな私を少し変えてくれたのはやはり私のパートナーである。

私たちは本当に何から何まで正反対で、似ているところを探すのが難しいほどなのだけれど、なぜか長年一緒にいる。

もちろん、初めの頃は靴の中にいくつもの小石が入ったままで歩いているかのような居心地の悪さがあって、私たちはしばしばぶつかり合ったものだ。

しかしいつの頃からなのだろうか、私は彼を自分の枠にはめるのを諦めるようになった。同じ食事をして、一緒に仕事をし、そして共に時間を過ごしても、私たちは個別なのだと思えるようになったのである。

当たり前のことかもしれないけれど、私たちは二人でもいてもやはり一人ずつであり、そして私たちは一人なのだけれど、でもそばに温かみや安心感を感じていられる存在があると感じられるようになった。

そして、互いの分かり合えない部分は靴の中の煩わしい小石などではなく、独特の光を放つ貴石なのかもしれない。そう思うと理解できない彼の性質や考え方も大事にしたいと思うのである。

 

今日紹介するのは池谷友秀さんの作品である。

彼の作品には必ず水が登場する。水は私たちの暮らしになくてはならないものであり、そして同時に水は私たちを破壊し、驚異的な存在になりうるという二面性を持っていることを作品の中で明確にしておきたいと彼は思ったのだそうだ。

そう、水との付き合いも人との関係も互いの良さに親しみを感じ、また互いの相容れなさをも受け入れることで初めて本当の姿を理解できるのだろうと思う。

 

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