ギャラリストのよしなごと

ヒヤリ

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私が教師として初めて赴任した学校で私はとても美しい日本語を使う国語の女性教師と意気投合した。私たちは仕事帰りによく一緒にご飯を食べて、職場のこと、自分たちの将来のこと、そして恋愛の悩みなどを話し合ったものだ。

そんな彼女がある日私に言った。

“私、毎日最低一度はヒヤリと気持ちが冷えるようなちょっとした危ない目に遭うのよ。私だけなのかしら?”

車を運転している時に子供が物陰から飛び出してくる、階段を踏み外しそうになる、料理の最中に包丁で指に傷をつけそうになる、などなど予期せぬ危険が毎日次々に手を替え品を替え襲ってくるのだと私に説明した。

彼女とその話をしたのはもう随分と前のことなのに、私はあれから日常の中でヒヤッとすることが起きるたびに、半分本気で、そしてもう半分は冗談めかして話したあの彼女の表情を思い出すのだ。

 

パートナーの運転する車に同乗するたびに私は何度となく心の中で“危ない!”と叫びを上げて、助手席にあるはずのないブレーキを踏んでいる。かと思えば加齢のせいなのか、私はしばしば道路の数ミリほどの微かな段差で躓きそうになって胸がどきんと大きく跳ねる.

そう、まさに彼女が言ったように、1日のうちに私は何度となく小さな、でも一歩間違えれば大きな危険と向き合っているような気がする。

 

昨日のこと、ギャラリーでの仕事を終えて家に帰る前に私はパートナーにメッセージを書いた。

“7時半には家にちゃんと戻っているつもりよ!”

そしてそれを送信しようとしてふと手が止まった。

私は本当に無事に家に戻ることができるのだろうか、なんの災難にも合わず、なんの事故にも遭遇せず、“ただいま!”と玄関口で元気な声をあげることかできるのだろうか。

そう思うと、私は自分がこの世の中でなんとも頼りない存在であると感じるとともに、呑気に空に輝く満月を見ながら歩く私自身をとても愛おしく感じた。

 

今日紹介するのは横野健一さんの作品である。

日常風景の中に潜むちょっとした恐ろしさをポップに表現する作家である。

この作品は白と赤の色合いも華やかで、パッと見るとポップな雰囲気がとても愛らしい。しかしよく見るとどの洋服からも血が滴り、この作品に毒が含まれていることが見て取れる。

それは日常の小さな(あるいは大きな)危機を乗り越えている私たちの暮らしぶりを示しているような気がするのは私だけだろうか。

 

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