ギャラリストのよしなごと

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先日パートナーがリールでコーヒーパスタなるレシピを見つけ、早速作ってくれた。パスタとコーヒーの組み合わせなんてちょっと不思議だけれど、でもそれはコーヒーの香りがとても上品で意外にもクセになる美味しさだった。しかし、リール上に投稿されたレシピは今となってはどこをどう探せば良いのかわからないまま消えてしまった、そう、あのコーヒーパスタはもう2度と作れない幻のパスタになってしまったのである。

 

インターネットは “今の情報”を次々に吐き出す怪物だな、と時々思う。

ソーシャルメディアから流される情報は瞬間が勝負である。

今投稿した記事もたった数分間でまるで高波に飲み込まれるかのようにあっという間に消えていく。私はただ呆然としてその事実を受け入れるだけなのである。

さらに言えば、インターネットは私の“今の好み”にすぐさま対応してくれる。

今欲しい洋服、今読みたい本、今興味のあるアート作品などなど、私の“今”に答えを差し出してくれるのである。それはとても楽なことだけれど、それは自分のまだ知らぬ意外な好みを見つける可能性を摘み取っているようにも感じてしまうのだ。

 

そうした真新しい情報を常に提供してくれるインターネットの存在を私は決して否定するつもりはない。その利便性に大いに助けられながら私の暮らしは回っているのだから。

でも私は子供の頃に百科事典で調べ物をしたときのことをつい思い出してしまう。調べたい項目のその前後にもつい興味が湧いてしまって読み進めてしまう。そうして得た知識や情報は無駄な時間や偶然から得たものなのだけれど、それらが私の人間としての礎になってくれているように思うのだ。

溢れる情報に振り回される事なく、そう、コンピュータから離れ、パッと目には無駄に思える生産性のない時間を過ごすことも大事だよな、と最近つくづく思うのである。

 

今日紹介するのは現在個展開催中の泉桐子さんの作品である。

刺々しくて地味なあざみは私の好きな花とは言えない。でもこの作品の前に立って私はふと自分自身のことを思った。

私は長年人間関係を警戒するあまりに自分の周囲に棘を張り巡らしてきたし、地味な花は私の性格のようにも思える。もしかして私を花に例えるならばあざみと言えるのかもしれない。そう思うとちょっぴりあざみに親近感を抱く。

泉さんの作品は、バタバタと慌ただしく駆け回る私に内なる自分とじっくり対話をする時間を与えてくれる。だから私は彼女の作品がことのほか好きなのだと思う。

 

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