ギャラリストのよしなごと

静寂

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私はずっと音のない暮らしが好きだと思っていた。

音楽も好きだし、日常の中にある生活音も嫌いではない。でも静寂に勝るものはない、そんな気がしていたのだ。

 

朝起きるとパートナーは必ずラジオをつける。

彼は朝のラジオから活力をもらい、1日の始まりとしたいのだろう。。

でも私は朝が苦手で、私の中にある感覚も器官もまだぼんやりとしているところへニュースだとか音楽が否応なしに耳に飛び込んでくるとやりきれない不快感が広がってしまうのである。

考えてみれば、日中だって頭の中でいつも何かしらつらつらと考え事をしている私には、音はさほど重要ではないのかもしれない。

 

でもどういうことなのか静けさだけに気持ちを集中してしまうと、私は途端に落ち着かなくなってしまうことに気づいた。一体何故なのだろう。

 

地下鉄に乗って私は毎日出勤する。

いつもだったら地下鉄に乗っている15分間、私は座席につくなり時間を惜しむかのようにして物語の中に没頭する。

でもふと何の気なしに周囲を見回すとそこここにマスクですっぽりと顔を覆った人々が俯いて携帯の画面や本へと目を落としていている。そこには人の気配がすっぽりと抜け落ちているのである。

聞こえてくるのはガタンガタンと規則的に鳴る電車の音と、時折妙に抑揚をつけたアナウンスだけ。なんだかシュールな光景である。

そして人が発する音の全くない車内で、私は息が詰まりそうな閉塞感を感じてしまったのである。

 

ギャラリーには静寂が似合う。

誰もがそう思っているし、私もそんな静けさの中で仕事をするのがとても好きだ。キーボードを叩く音と外から聞こえてくる様々な生活音は、まるでバックグラウンドミュージックのようである。

でもキーボードを叩く手をふと止めたとき、外の物音がふっと消えたその瞬間、室内の静けさは私に大波のように襲いかかってくるような気がする。

人の気配のしないギャラリーはとにかく非常に重たい空気に満たされるのである。

 

静寂は人の佇まいが微かにそこに含まれているからこそ、その空間を落ち着いて心地よく過ごせるのではないだろうか。温かみのある静寂を私は好んでいたのだ、と今頃になってやっと気づいたのである。

 

今日紹介するのは佐久間年春さんの金継ぎ作品である。

器はどんなに長い歴史を抱えていてもそれを主張しない。ただ佐久間さんによって金継ぎを施された器は静かにその存在感を主張する。彼らの長い歴史を、金や銀の線で繕いを施されたことによって生まれる個性を私たちに静かに語り始める。

 

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