ギャラリストのよしなごと

アートは観るだけ?それとも買う?

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美術館でアート作品を見て回るのが好きだ、という人は本当に多い。しかしアート作品を買うとなるといきなりアートの敷居は高くなるものだ。

ギャラリーに入ってくるお客の中には、“私はただ作品を見たいだけですから。買いませんから!”としきりに予防線を張る方もいる。

それだけアート作品を買うという行為は人を緊張させるものらしい。

もちろんのことアート作品の中には信じられないほど高額なものもあって、そのイメージが先行してしまって“アートは高い”とのラベルが貼られてしまっているのは確かだ。だけれども実は小品であれば冬のコートを買い替える程度の金額で十分に素晴らしい作品を手に入れることができるものである。(いやもっとお安いものだってある。)

アート作品は見るものであって、買うものじゃない、と先入観を持っている人々の意識を変えるにはどうすればいいのだろう、と日頃私はよく考える。

ギャラリストだから作品を売りたいんでしょ、と言われてしまうかもしれないが、実はアート作品を美術館で見るだけと自分のお金で買うのとでは作品の鑑賞の仕方に大きな違いが生じる。

これはアート作品を買った人は皆感じることなのだけれど、目から薄紙が剥がれるように作品の見方が変わってくるものなのである。

作品に対し受け身でなくなると言えばいいのだろうか。

積極的にアートに関わる姿勢が作品の見方を変えてくれるのである。

そうは言っても、作品を買い求めることに抵抗がなくなるわけではない。

ただアート作品に関わっている私自身が作品の面白さ、素晴らしさ、コンセプトの深さに心から感銘を受けていること、ひたすら面白がっていることが人々にアートを買いたい、手に入れたいと感じさせるのではないかとシンプルな考え方だけれど、私はそう思っている。

 

先日やってきた男性は、ギャラリーの常連と言ってもいい人なのだが、未だかつて作品を買ったことがなかった。

彼はいつだって“僕の場合、どんなに気に入った作品があっても絶対に買いませんから!”と私の前で念を押す。

もうそれはまさに私と彼との決まりきった挨拶のようになっていて、私は彼のその意思が揺るぐことはないだろうと思っていた。

ところが彼は今回初めて彼は作品を買い求めたのである。

作品への愛情が彼に伝わった、なんて陳腐なことを私は言うつもりはない。ただ私は彼が“アートを買って楽しむ”という階段を一段登ってくれたことがあまりに嬉しくて、つい涙ぐんでしまった。

私は知っている。

彼は毎日買った作品の前に佇み、微に入り細に入り作品を眺めては微笑んでいることを。

そして家の中にたった一つのアート作品があるだけでもその場が華やぎ、そして心地よくなると彼が今しみじみと感じていることを。

 

小さな作品だけれどまさに太陽のような輝きを放つのはイトウマリさんの作品である。

どんなに悲しい時も悔しい時も、そしてすっかりと落ち込んでしまった時もこの作品は無言であなたに温かみと安心感を与えてくれるに違いない。そしてあなたが喜びに溢れているときには、ますますゴージャスに光を放ってくれるはずだ。

つまりアート作品を手に入れるとは、どんな時もそれと喜怒哀楽を共にし、人生を一緒に歩んで行くということなのだと私は思う。

 

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