ギャラリストのよしなごと

人生ドラマ

f:id:keikothings:20211113220422j:plain

 

仕事を終えて家に帰ると、私は1時間程度ドラマを見ることを習慣としている。

リラックスするためにフィクションの世界に身を投じる私なのに、気づいてみれば手に汗を握って自分のことのように真剣そのものでのめり込んでいてすっかり肩が凝ってしまう。まさに本末転倒とはこのことである。

 

フィクションと知りながら人々が繰り広げるドラマに夢中になるのは、次々に困難な問題がその人たちに降りかかってくるからだろう。

主人公が問題に果敢に取り組むにもかかわらずうまくいかなくて挫けそうになっている姿を見た時、私は心の中で喚かんばかりに彼らにエールを送っている。そして彼らが大きな壁を乗り越えた暁には思わずガッツポーズをしてしまうのである。

私たちはそうしたストーリーに感動し、共感を覚える。

 

考えてみれば私の人生も続行中のドラマである。

主人公を演じているのは紛れもなく私である。たとえニコール・キッドマンがその座を欲したとしても決して勝ち取ることのできない私だけの役柄である。(まぁ彼女がこの役を演じたいとも思わないだろうけれど)

それならば自分の人生を脇役っぽく考えるのは変ではないか。

“どうせ私なんて何の才能も持ち合わせていないし、凡庸なつまらない人間だ”と卑下することもない。

ネットフリックスのドラマのように主役たちが大きなことを成し遂げる、そんなふうにはいかないにしろ、靴の中に潜んだ小石のような小さくて煩わしい目の前の問題に何とか対応している私は確かに主役である。

私のドラマはどこまで続き、どう終わりを見せるのかはわからないけれど、より良い方向に舵を切っていきたいと思うこの頃である。

 

今日紹介するのは寺山紀彦さんの作品だ。

この作品は海に流れ着いた漂流物を糸と針で見事な多面体を作り出した作品である。

まるで漂流物が宙に浮いているようにも、その立体の芯となっているようにも思える。

どこからか流れ着いた小さな木片は多分どこの海辺でも見つけることができるなんの変哲もない物である。でもそれを寺山さんは中心に据えて完全な美を表現してくれた。

そう、私たち一人一人は目立たない小さな存在だけれど、でもその個人にスポットライトを当てるなら、どの人も主人公であり、どのドラマも感動を呼ぶのだ、とこの作品は訴えているように思えてならないのである。

 

f:id:keikothings:20211113220513j:plain