ギャラリストのよしなごと

頭ではわかっていても。。。

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頭ではわかっていても気持ちが納得できないなんてことが私にはしばしばある。

 

お客たちは作品を見た後、さまざまな反応を示し、また自分なりの感想を私に伝えてくれる。無言のまま帰っていく人がほぼいないのは、ギャラリストとして大変嬉しい。

そう、一言でも感想を述べてくれるお客たちに私はいつもたくさんの元気と勇気、そしてやる気をもらうことができるのである。

 

ただ彼らの中には次のようなことを言う人たちがいる。

“作品をとても気に入ったから、夫(妻、あるいは恋人)とまた一緒に来ます!”

“明日もう一度必ず来ます!”

もう一度ギャラリーで作品を見たい、そうした彼らの言葉に偽りがあるとは思わない。ただ彼らが毎日の慌ただしさに紛れていくうちに、アート作品から受けた感動はいつしか気持ちの奥底に沈んで忘れてしまうのはごく普通のことだとも思う。

また歩いていけるほど近いスーパーでも面倒で足を運びたくない時だってある。ましてや車や電車に乗って出かけなければならないギャラリーに二度三度と出かけるのはやはりよほど特別である。

だから私は彼らが相方を連れてくると言って来なかったり、明日くると約束した人が来なかったからと言って、それに腹を立てるつもりは毛頭ないのである。

 

でもそうは言っても私の気持ちはやっぱり少しだけ落ち込んでしまう。

まるで恋人と待ち合わせをしているかのように落ち着かない気持ちを持って私はその人を待つのである。ギャラリーを閉める時間になっても、もうちょっと待ってみようか、などと考えてしまう。

そしてついにギャラリーの照明を落とし、入り口の鍵をかける時、私はふぅと失望のため息を大きくついてしまうのだ。

もしかしたら彼らは社交辞令としてそんなことを言ったのかもしれない、なんて考えが頭を過ぎる。でも例えそうだとしても私はお客たちの言葉を信じていたい、そして彼らのために準備万端でいたい、そう思うのである。

 

今日は嶺脇美貴子さんの作品を紹介しよう。

これは抹茶をかき回し、泡を立てる時に使う茶筅にシルバーの糸を編み込み花に見立てたオブジェである。

茶筅の役目を終えたそれが花として生まれ変わった今、それはどこか泰然自若としたオーラを放っている。

それはきっと抹茶を立てた茶筅が多くの人々の気持ちに静寂を与え、そして嶺脇さんが凪のように穏やかな心で銀の糸を美しく編み込んだことによって生まれた佇まいなのかもしれない。

あぁ、私もこの作品のようにどんと構えたギャラリストになりたいものである。

 

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